日記

社会不適合

社会不適合。

まさかこの言葉がじぶんにしっくりくると感じる日がくるとは思わなかった。
東大を卒業して、ベンチャーに第一号社員として歓迎されて入社した。
就活して大手企業に入っていく同級生を心底不思議に思っていた。
「どうして決められたレールに乗っていくことに疑いを持たないんだろう?」と。
一点の曇りもなく心から共感し、熱くなれる仲間・仕事・会社に出会えたと、じぶんの運命に大いに感謝しながら入社して1年半。軽いうつで休みがちになって、気づいたら退社していた。
気づいたら退社、とは変な言い方なのだけど、辞める辞めないの話をすることも、そもそも人に会うのも嫌で逃げつづけていたら退社の流れになっていた、当然ながら。
実績もスキルも履歴書に書けるような成果もゼロの状態で、大事にしてもらっていた会社からふらりと出てきてしまった。最低のやり方で。あっけなかった。

入社を決めたときには随分と親、親戚に反対された。
「東大を出て、うさんくさいどこの馬の骨ともわからない会社に就職するなんて…」と母はかなりショックを受けていた。
両親に一言の相談もなく就活をやめ(というかほとんどしてない)、吹けば飛ぶような会社に行くことを勝手に決めたわたしに対して、母は憤怒をも通りこし、なにか全く理解のできない生物を見るような目でわたしを見た。
入社しても半年くらいは会うたびに両親から転職を説得され、父から再就職先の会社を紹介された。(父の会社は中途採用をしていないとのことで、関連会社に話をつけようとしてくれていた)

でもわたしは生意気にも「じぶんで納得した道を行く」の一点張りだった。
わたしなりに、なぜこの会社に行きたいのか、そこで何をしたいのか資料を見せながら両親に説明を試みたけれど、簡単に理解を得られるものでもなく、あとは生き生き働いている姿を見せて認めてもらうしかないなあと思った。
生んでくれて、育ててくれてありがとうと思うけれど、わたしの人生の責任を親に負わせる期間はとっくに終わっていた。
万が一うまくいかなくても、じぶんで考えて納得して選んだ道ならどんな結果になろうと受け入れられる。
でも親や世間や周りの空気や常識と言われているものにわたしの大事な人生の選択を任せたら(それが無意識のうちにでも)、失敗したときにじぶん以外の何かのせいにするだろう。
それはいやだなあと思っただけだった。
なので、変かもしれないけれど、いまは清々しいさっぱりした気持ち。
「じぶんで決めたことだし、仕方ないよね」と。
誰のせいにしなくてもいいというのは気持ちがいい。
(「勝手にさっぱりするな」と言われてもいいくらい、お世話になったひとに顔向けできないくらいの迷惑をかけたので、そればかりはもう、お詫びの言葉もないのだけれど。)

もちろん、自分の弱さには心からうんざりした。
勢いよく啖呵を切っただけに、自分を情けなく思った。
上手くいっているように見える人にだって悩みや孤独はあるのを知りながら、それでもそんな人を斜めの方向から見て「なんでわたしはわたしなんだろう」と悲劇のヒロインを気取った。
「わたしは道を間違っちゃったのかな」と思ったりして、じぶんを信じてあげられない気持ちを味わうのはきつい経験ではあったような気がする。
でもわたしは根っこでじぶんを信じる気持ちがふてぶてしいくらいに強い。
ので、この先の人生に対する不安とか、立ち直れないような自己否定の気持ちはない。

ただ、世間的にわたしのいまの状況を説明するのが難しいなあ、とは思う。
いや、世間的に、というよりもわたしの周りに多いエリートたちへの弁明の言葉が思い浮かばないのだ
名もないベンチャーに新卒で就職した時点で、東大の肩書きやプライドも捨てたと思ったのに、今さら誰への「弁明」かとおかしい。

ばかみたいと思うけれど、人に誇れる何かを持っていなければ、キラキラした自分じゃなければ堂々と人に会えない。
とりあえず「○○社に勤めています」と言っておけば人が黙ってくれる所属先があれば、なんて思ってしまう。
己の弱さを、良い時期にない自分を見せることを恥だと思ってしまう。

そのせいで心配をかけているひと、ごめんなさい。
この記事も、実名のブログなのにここまで書くか迷ったし、1時間後には早くも恥ずかしくて後悔しそうな気がします。

でもこの経験を、不調な時期を、どこか俯瞰で見ているわたしもいて、ひとに多大な多大な迷惑と心配をかけまくって本当に馬鹿野郎だけど、面白くなくもないと思っているので、残しておこうと思いました。

服部みれいさんがブログでこんなことを書いていて、救われました。

仕事を辞めてこの先どうするかわからないとか、

離婚してしまったとか、

誰かと死別したとか、

事件に巻き込まれたとか、

重篤な病気になってしまったとか、

人生でこんなに大変なことってあるんだ!

もうどうしていいかわからないというような時、

その時は、

人生にとって、実は、スポットライトがあたっていて、

実は、舞台の中央に自分はいて、(そうはとても思えないのですけれど)

世界中の、宇宙中の神という神が、

息をのんで(神が息をのむかどうかはわかりませんが)

見守っているのかもしれないなと思います。


調子がでない時は、


いつもと同じことをする
(ルーティンを怠らない。例えば、半身浴、瞑想、楽器の練習など)

何かをコツコツと地味に学ぶ機会にする
よく休み、心身を養生する機会にする
エネルギーをためる機会にする
掃除をしっかりする機会にする


など、地味ながらもやることがあって

この時期をどう過ごすかが、

実は、自分というものの芽が、いよいよ外に出ていくときに

すごいパワーになるような気がしています。

(中略)

この、苦々しく感じる、地味なときに、

人はすごく鍛錬されているような気がします。


本当に、人生、どんなときも、すばらしいんだと思います。

未熟で弱く恥の多いわたしの人生だけど、スポットライトが当たっているなら、遅ればせながら、この時期もくさくさせずに過ごそうって思いました。


あ、会社を辞めた理由は書きませんが、よくある人間関係のこじれでしょうか。

なんだかもう、今までも割とそうしてきたけれど、これからは好きなことだけして生きていこう、とにかく、死ぬときに持っていけるのは思い出だけ。
と、まっさらな気持ち。

ピンクのMacBookを買ったらブログを書く気分になりました。可愛い♡

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社会不適合者は社会不適合者なりに、この世界に居場所をつくろうと思うばかり。

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社会不適合” への9件のフィードバック

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